巡る季節・人・想い

「春は出会いと別れの季節」

伊豆諸島の島々にとって、その言葉が持つ重みは、本土のそれとは異なります。

式根島にも、また、この特別な季節が巡ってきました。

式根島という場所

東京都心部から南へ約160km。面積3.88k㎡、人口451人、世帯数259(新島村HPより/2026年3月現在)。式根島が属する東京都新島村は新島と式根島の二つの島で一つの村を成す「二島一村」の自治体です。

「式根松島」の愛称で知られるリアス式海岸の明媚な風景、潮の満ち引きで温度が変わるワイルドな海中温泉——家族連れや釣り客に人気のアットホームな島です。年間平均気温は17.6℃。海洋性の温暖な気候に恵まれる一方、冬季は西ン風が吹きすさび、穏やかな日ばかりではありません。

アクセスは大型客船さるびあ丸で竹芝から約11時間。季節運航の高速ジェット船なら約3時間。空路は東京都の調布飛行場~新島空港間を新中央航空で約40分飛び、新島からは村営連絡船で式根島へ渡ります。欠航する日もあり、東京都でありながら「簡単には行けない場所」です。

「15の春」を迎えた島の子どもたちの旅立ち

式根島中学校の全校生徒は13名(男子6名・女子7名 ※2025年4月現在)。島の子どもたちにとって、中学校の卒業は「島を離れる日」へのカウントダウンの始まりです。式根島は島内に高校がないため、隣の新島にある東京都立新島高等学校へ連絡船で通うか、あるいは本土の高校へ進学することになるのです。

新島高校へ進学する場合、式根島~新島間は村営連絡船にしき(所要約15分)で毎日通学するのが基本です。通学ダイヤになっていますが、海況悪化などで欠航が発生することもあり、天候に左右される通学路は、島の子どもたちといえど大きな環境変化となります。

一方、本土の高校へ進学する生徒は、早すぎる自立を果たして、卒業がそのまま島を離れる日を意味します。「15の春」です。

高校卒業後も本土の専門学校や大学へ進み、そのまま就職するケースが少なくありません。島への思いは強く、頻繁に帰省する卒業生も多いですが、家業を継ぐために島に戻る者、定年後を島で過ごす者はわずかです。

このように、15歳の卒業生が毎年、島を出ていく重みは、数字以上のものがあります。

恩師との別れ

式根島学園(小中一貫校)の教職員は東京都の職員です。定期的な人事異動が行われており、おおむね3年~6年で次の任地へと赴きます。

式根島の学校の教職員配置は中学校では生徒13名に対して教職員11名。生徒と教職員がほぼ同数という、本土では考えにくい構成になっています。

中学校は教科担任制であるため、国語・数学・英語・理科・社会・音楽・美術・保健体育・技術家庭——教科ごとに専門の教員が必要です。生徒が何人であろうと、教育課程が成立するだけの教員数を確保しなければなりません。校長・副校長・養護教諭・事務職員等を含めれば、生徒数とほぼ同数、あるいはそれ以上の教職員が配置されます。小学校側も児童19名に対して教員10名と、手厚い体制です。

これは、子どもにとって「すべての先生が自分の先生」であることを意味します。

担任だけでなく、校長先生も、養護の先生も、他学年の先生も「全員が自分の名前を知り、家庭の事情を把握している」本土の大規模校では得がたい濃密な教育環境です。そして、春に1/3以上の教職員が離任・着任で入れ替わることもあり、そのインパクトは、通常の人事異動とは次元が違います。

先生方のなかには家族を伴って着任される方もいらっしゃり、お子さんたちは島の子どもたちと同じ学び舎に通います。彼らは島っ子になり、放課後には桟橋で一緒に釣りをして、海に飛び込み、祭りに参加する仲間となります。児童・生徒あわせて30名あまりの学校では、先生の子が数人加わったり減ったりするだけで教室の風景が変わります。

野伏港で見送られるのは、尊敬と感謝を捧ぐ恩師であり、机を並べていた親友でもあります。先生家族の離任は、島の子どもたちにとって「恩師」と「仲間」との突然の別れが同時に迫る出来事です。

命を守る医師との別れ

島唯一の医療機関である「式根島診療所」を支えるのは、東京都が採用する医師です。

東京都には、地域医療の支援に意欲を持つ医師を「東京都地域医療支援ドクター」として都の常勤職員に採用し、原則6年間の勤務期間のうち、通算2年間以上を医師不足が深刻な多摩・島しょの公立病院等に一定期間派遣する仕組みがあります。応募資格は、医師免許取得後通算5年以上の臨床経験を持ち、満60歳未満であることです。

診療所の医師は基本的に一人体制で、内科・外科を問わず島民のあらゆる症状に対応します。重症患者が出た時に、東京消防庁のヘリコプター(東京消防庁航空隊)による救急搬送の判断を下すのもこの医師です。一人で島民の命を背負う責任の重さは、本土の勤務医とは質的に異なります。

慢性疾患を抱える高齢者にとって、自分の病歴や体質を熟知した医師がいなくなる寂しさは大きいものです。杖をついたお年寄りが、さるびあ丸が見えなくなるまで手を振り続ける姿が見られます。

安全を守る警察官の交代

島の治安を守る警察官は、東京都を管轄する警察組織である警視庁から派遣され、式根島駐在所に勤務します。

警察官は交番機能と住宅が一緒になった駐在所に、家族あるいは単身で住み込み勤務をします。島しょへの転勤は強制ではなく、希望者に面接考査を実施し、選考通過者が赴任します。そして、一任期は原則2年に限定されます。

家族帯同の場合、警察官の配偶者や子どもたちも島の生活に加わります。配偶者が地域の行事に参加し、子どもがいれば式根島学園に通う。駐在一家はあっという間に「顔なじみ」になります。

仕事は犯罪捜査だけではありません。毎日の定期船の入港・出港の立ち会い、不審者のチェック、安全確認、観光シーズンの海水浴場の見回り、日々の島内パトロールなど、島の安全にかかわるあらゆる場面を担います。駐在さんの顔と名前を知らない島民はいません。

2年後、信頼関係を築いた警察官が去り、また新しい一家がやって来ます。島を守り続けてくれた警察官への感謝は尽きません。

生活圏が重なる島は「職業の人」では済まない

本土ならば、医師は病院で、警察官は交番や警察署で、先生は学校で対する存在です。プライベートの時間と場所は分かれており、仕事上の関係がそのまま私生活に持ち込まれることは多くありません。

島の商店は限られています。先生も、医師も、駐在さんも、移住者として島民と同じ店で同じ棚から商品を手に取ります。夕方に温泉に浸かれば、隣に昼間診察してくれた先生がいる。釣り場で竿を並べる担任一家。駐在さんがパトロールをしながら自分も祭りの空気を楽しんでいる。公私の境界線を本土と同じ感覚で引くことはできません。

「患者と医師」「生徒と教師」「住民と警察官」。本土では区切られた関係性が、島では「隣人」としても収束していきます。

式根島に赴任する公務員は、基本的に「自らの意志で島を選んだ人」です。辞令一本で送り込まれるのではなく、島での仕事と生活に覚悟を持って臨む人材が集まる仕組みは、離島の公共サービスの質を支える生命線です。

同時に、その「覚悟を持って来てくれた人」が数年で去っていく寂しさがあります。

2月3月になると、離任者と島の生活で関わりを持ったあらゆるコミュニティが、それぞれのやり方で別れの席を用意します。複数の送別会で、かみしめるように別れを惜しみます。それは、赴任者たちが「その職業の人」ではなく「島の住人」として過ごしてきた証でもあります。

「桟橋に響く式根島大漁太鼓」と「船内に流れる別れのワルツ」

3月は高速ジェット船の就航がなく、式根島の移動手段は大型客船「さるびあ丸」です。かつての定番だった「別れの紙テープ」は環境負荷や安全性の観点から現在では行われず、「手旗」に代わりました。

「また、おいでください またこいよ〜 ゴゾーサヨ ありがとう」

黄色い横断幕を掲げ、見送る島民で埋め尽くされた野伏港。

ある春の日の野伏港

さるびあ丸の船体に向かって、島っ子たちが力強く打ち鳴らす「式根島大漁太鼓」の音は、旅立つ人への最大のエールです。

涙をこらえて懸命にバチを振る島っ子たち。
響き渡るさるびあ丸の出航の汽笛。
船内に流れる別れのワルツ/蛍の光。
野伏港から遠ざかっていく船影。

響く式根大漁太鼓

さるびあ丸が巡る大島、利島、新島、式根島、神津島~いずれの島でも、この時期は想いを込めた見送りの光景があり、何も知らずに乗り合わせた観光客が、思わずもらい泣く春の風物詩となっています。

そして、桟橋に新しい顔が降り立ちます。

あちこちで開かれていたお別れ会は、いつしか歓迎会となり、小さな島の出会いと別れの物語は続いていきます。

船内で流れます

遥かな海を越えて 新しい旅が始まる

離れて初めて気づいた ありがとう