
嗚呼、海難法師
手ごわい冬の式根路
2026年1月2回目の式根行は1月2週目の成人式の連休を予定しておりましたが、前回、新年早々、救急車騒動となった喘息が治まらず、おまけに声も出なくなっておりキャンセルしました。そもそも海が荒れていて、到着できても、帰りの便が怪しいのです(結果的に日・祝と欠航になっておりました)。本格的な冬を迎えた伊豆諸島はそう簡単に往復を許してくれません。
さて、ガラガラ声ながら、なんとか回復した私には、1月中にどうしてもやらねばならないことがありました。
それは、伊豆諸島に伝わる「海難法師(かんなんぼうし)」の日を式根島で過ごすこと。海難法師とは毎年、1月24日・25日頃、伊豆諸島北部~中部の島民が伝承上の「人ではないモノ」の存在を畏れ、一斉に家に閉じこもる風習のことです。
2026年は24日の親だまり(全員が外に出られない)が土曜日、25日の子だまり(子供が外に出られない)が日曜日。勤め人にはうってつけの日並びとあって、7年に1度の好機。万難を排して式根に行かねばなりません。しかし万難には排せるものもあれば、排せないものがあります。その最たるものが「おてんとさま」ですが、島旅の場合は「時化」もあります。そして嫌な予感は的中。
23日金曜夜発の大型客船が大島止まり、つまり式根島欠航になってしまったのです。天気も良く、さほど荒れているようにも思えないのですが、欠航は欠航で、どうにもなりません。お土産の自家製キムチもヤムニョムから手作りして用意したのに困りました。ちなみに私はキムジャン(12月にキムチを大量に作る伝統行事)を韓国の家庭におじゃまして学んだ経験があります。気になる伝統行事や習俗は体験せずにはおれない性質です。

この話をすると、プロトラベラー山ちゃんが「うーん、調布から飛行機はどうですか?にしき(新島ー式根島の村営連絡船)は動くと思いますよ。」と名案をくれました。飛行機!なるほど、その手があったか。仕事で伊豆諸島の島々にしょっちゅう出張をしている画伯に飛行機の乗り方のアドバイスを受け、私は翌朝の便を押さえました。
名案のゆくえ

というわけでやってきました調布飛行場。竹芝より自宅から近くて何よりです。プロペラ小型機ゆえ、体重を自己申告することで有名な?搭乗手続きは15㎏の重量オーバーで4500円の超過料金を支払った以外はスムーズに済みました。実に高価なキムチです。

あちこち離島に行った経験からプロペラ機は慣れているのですが、調布空港は初めてなので新鮮です。


気流も安定して、これは素晴らしいフライト!

約40分ほどで無事に新島空港に到着しました。ここまで来れば式根島は目と鼻の先…と言いたいところですが、なんと、空を飛んでる間に肝心の新島と式根島を結ぶ連絡船にしきが欠航をキメていました。
つまり、新島で、たった一人で海難法師の夜を迎えるってこと?
山ちゃん「アハハ、すみません!」
新島幽閉
新島に着いた私は事前に手配してあった「よこたタクシー」さんに乗り、新島村博物館に行きました。宿はひだぶんと同様に自炊ができる「Hostel NABLA」さんを予約できました。博物館なら、がっつり時間をつぶせますし、一度は来ないとと思っていたのです。ましてや、今回は海難法師がテーマの旅になっていますから、好都合であります。

初めて訪れた新島村博物館は、他の来館者の姿はなく、貸切状態でした。超過料金4,500円を支払う羽目になった計20kgの荷物(主にキムチ)を受付に預け、身軽な状態で展示へ向かいます。
新島村博物館はいわゆる「地方の郷土資料館」ですが、展示の充実度は予想を大きく超えていました。
新島村博物館は、新島の郷土史家・前田長八氏(1902年/明治35年生)が創設した「新島郷土館1965年/昭和40年設立)」の収蔵品を基盤として、1998年に開館されたものです。前田氏は新島初の島誌『新島大観』や『新島流人帳』を著した人物であり、式根島マガジンでもたびたび紐解く「式根島開島百年史」にも深い影響を与えたことが推し量れます。
前身の「新島郷土館 創立三十周年・開館五周年 記念事業誌」に序文を寄せた法政大学・森教授によると、前田氏の実弟は「兄は伊豆七島の資料となると、どんな些細なことでも夢中になる」と語っていたとのこと。人材の限られる離島において、これほどの熱意を持った記録者が存在して、歴史を後世へ継承できたことは、僥倖と言えるでしょう。展示物を眺めながら、まず考えたのはそのことでした。
館内は撮影自由(フラッシュは禁止)。私は次々と必要な資料を撮影して集めました。






一通り見たら、2階に上がり、読書コーナーで貴重な資料を片っ端からめくって情報収集です。

そうこうしていると、あっという間に昼になってしまいました。おなかもすいてきたし、午後には予定があります。チェックイン前に荷物を預けられるようなので、いったん宿に行くことにしました。
急な宿泊に対応してくれた「Hostel NABLA」さんは、古い民宿を2017年にリノベーションしたモダンな素泊まり宿。使われていた新島特産のコーガ石を活かし、新島らしいブルーをポイントにコーディネイトした空間が大変スタイリッシュです。

船が欠航したこの日は私以外は連泊中の若い男性が一人のみ。本来は相部屋となるドミトリー形式の個室も貸し切りになってしまい、大変居心地よく過ごさせていただきました。



そして、入口に飾られていたのが「トベラ」。海難法師の魔除けです。

宿の方に伺うと、やはり「今夜は海難法師なので、夜の外出は控えます。」とのことでした。私は「なるほど」と大きく相槌を打ちつつ、身軽な格好で街へ食事に出かけました。
式根島と違い、新島には飲食店が点在しています。地元の方々で賑わう店に入り食事をしていると、隣の席からこんな会話が耳に入ってきました。
「今夜はどうせ出歩けないんだから、今のうちに飲むしかないよな」 「いや、本当だよ」 「今から飲んでおけば、夜は早く寝られるしな」
(何も昼から泥酔する必要はないよな~)と思いながらも、「海難法師の風習は、今もこの島に息づいている」と実感しました。満足して店を出た後は、紹介いただいたあるお宅へ向かいました。海難法師にまつわる貴重なお話を伺う約束を取り付けていたためです。連絡船の欠航で新島に足止めされた時は「海難法師の祟りか」と嘆きましたが、結果として実りある取材の機会に恵まれました。そして、古くからの島民にとって海難法師が「重要な神事の日」であることを理解することができました。
海難法師の概念そのものについては別記事にて詳しく解説しています。ご興味のある方はぜひそちらもあわせてご覧ください。
海難法師の夜
夜になりました。外は音をたてて風が吹きすさび、いよいよ何が出てもおかしくありません。
館内は人の気配がなく、私は一人、共同キッチンで食事の支度を整えました。本来なら、ひだぶんの面々と食べるはずだったポッサムキムチ!



生ガキまで持ってきてこのありさまですが、赤ワインを飲みながら、ひだぶんとビデオ通話で交信を試みると、あっちはあっちで、帰れなくなったお客さんや長期滞在のお客さんと海難法師の話で盛り上がって宴会中。シーンと静まり返ったこちらとは大違いです。
明日こそ、式根島に渡って、式根島の海難法師を体験せねばなりません。私は片づけて、早々に布団に潜り込みました。
ちなみにこの夜の式根島マガジンは、当然ながら事前に公開しておいた海難法師の解説記事がアクセスさく裂しております。2位はわたくしバエパッチョコラムの新作でして、我ながらなかなかの人気連載です。

航路は二度死ぬ
翌日、6時過ぎに目覚め、出立の準備をしていた私の目に飛び込んできたのは、まさかのアナウンスでした。
なんと!またまた、連絡船にしきが欠航になってしまいました。本来ならば、24日(土)25日(日)と式根島に2泊して、26日(月)の船で帰る予定でした。このままでは、新島に2泊して帰ることになってしまいます。式根メンバーも「まさか!!どうして~!!」と驚愕です。さすがにここまできて、式根島の海難法師の様子を見ずに帰るわけにはいきません。
私は、会社に事情を話して、なんとかもう1日休暇を伸ばすことに成功。27日(火)帰りに変更をしました。さて、本日はどうしようか。
ひとまず腹ごしらえで、どさんこラーメンへ。ここでも昼から飲んでいる人が多数。結局、海難法師関係ありません。


そして、前日に見切れなかった新島村博物館に歩いて向かいました。途中で十三社神社に寄ります。昨日、海難法師のお話を聞いた島民にも、この神社が深くかかわっていることを聞いていたのです。

事前知識なしで訪れましたが、社の背後に宮塚山の岩肌を背負った十三社神社のたたずまいに圧倒されました。伊豆諸島最大規模の神社だけあります。 ご祭神は、えびす様として信仰される事代主命。ちょうど1月20日に行われた式根島のえびす講行事の執筆もあったので、巡りあわせとしか言いようがありません。


こちらは、新島の御手座(みてぐら)です。笹竹に切れ目を入れ、幣紙を挟んだ一回り細い笹竹を差し込んであります。1枚目がお話を聞いた民家のもの、2枚目が十三社神社のものとなります。


博物館でさらに資料を集め、動画をくまなく見ていると、あっという間に夕方になりました。スーパーで夕食を買って、今日も早寝です。明日は待ちに待った凪。ようやく式根島に行けそうです。
遥かなる式根島
日頃、釣りをしながら往来を眺めていた新島村の連絡船にしき1便に初乗船。新島から式根島に通っている人もいるようで、10人ほど乗り込みました。


連絡船に乗り込んで、海を眺めながら考えたら、海難法師の深掘りはもちろん、飛行機やら連絡船やら、博物館、神社と、すさまじい撮れ高となっております。これは、もはや「取材をしろ」という神の思し召しで、新島に閉じ込められたのではないかと思うほど、結果オーライになっております。


式根島に着くと「ようやく来れましたね~!」と今までで一番の歓待を受けました。95歳のバァも「まったく、どうしてこうなった!」と嘆いています。私もそう思います。そして、式根島というかひだぶんの海難法師の夜の様子を聞くと、結局、いつまでも飲んでいて、いい大人たちがバァに「今日は早く寝なさい!」と叱られたくらいで、特段の怪異もなく、26日を迎えたとのこと。
式根島の海難法師の様子を含め、体験レポートはこちらの記事にまとめてあります。
さて、気を取り直して任務に戻ります。山菜名人に島のあれこれ教えてもらう約束をしていたのです。新島に閉じ込められてしまい、順延してしまいましたが天気は上々。待ちわびていた名人と島中を巡りながら、海難法師の飾り、式根島の水の歴史とその遺構、戦跡、今が旬の海苔やあおさなどの海藻について、駆け足で教えていただきました。








1月は島民が待ちに待った海苔摘みのシーズンの始まり。岩海苔に少しアオサノリを混ぜると風味がよくなるそうですが、アオサノリは砂をとるのが大変すぎるので、今はやっている人はほとんどいないはずとのことでした。
今回は全く釣りをせず、ひたすら新島・式根島の文化に触れる民俗学的フィールドワークとなりました。いろいろありましたが、式根島の解像度がまた1つ上がった良い旅でした。
今回釣った魚
ナシ
今回のお料理(1泊分)


よりぬきレシピ
書いた人

こんにちは。私は、「自分で釣った魚で料理を作って、美味しいお酒を飲むため」に式根島に通っています。この「今宵もしきねでバエパッチョ」が式根で釣りをやってみるきっかけになったり、自炊民の多少の参考になれば幸いです。










